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Dec 8


Nov 22


Nov 15
“「ドラクエ鉄砲玉伝説って知ってますか?」
 プロデューサー。DSドラクエの話題の最中に突然の一言。
 何かふくみがあって訊いているのかと疑ったが、完全に素で質問されていた。「僕がやりました」と告白するのに三十分くらいかかった。なぜ今さら話題にされるのかと思ったら、なんとネットで検索すると誰かが保存した「鉄砲玉伝説」の全文が見つかるらしい。当時、日記の文章として書いたものだが、まさかまだ現存するとは思いもしなかった。ネット恐るべし。
 ちなみに正しいタイトルは『ドラゴンクエストⅡ 任侠鉄砲玉伝説』である。久々に古いバックアップ・ファイルを読み出してみたりした。まったくもって八年前の文章である。思わず全面的に加筆修正しそうになった。頼むから忘れて下さい。”
ぶらりずむ黙契録

Nov 14
“/ ̄ ̄\ まぁ本当にシャフトさんにはがんばってもらってますよ
     /  ヽ、_  \ するがモンキーとなでこスネイクは千カットほど修正してます
    (●)(● )   |
    (__人__)     |   あとどんな事が起きようと、ハルヒちゃんみたいな事はしません(笑)
    (          |
.    {          |
    ⊂ ヽ∩     く
     | ‘、_ \ /  )
     |  |_\  “ ./
     ヽ、 __\_/”
今日もやられやく 法政大学「アニメメーカー横断宣伝マン生ブログ!」 イベントに行ってきたお

“/ ̄ ̄\ 
   /   _ノ  \ webって雑誌などと違って、情報源としはいいけどすぐ流れちゃうんですよね
   |     ○―○ 1回見たら終わり・・とか、だから咲などは徐々にキャラ公開してったんですよ  
   |      (__人__) それなら何度も見てもらえますからね 
.   |        ノ
    |      ∩ ノ ⊃  
  /     ./ _ノ
  (.  \ / ./_ノ │
  \  “ /___|  |
.    \/ ___ /
     エコロジ氏”
今日もやられやく 法政大学「アニメメーカー横断宣伝マン生ブログ!」 イベントに行ってきたお

Nov 11

Nov 10
“米島:ぼんやりとしか言いたいことがわからん。アクションと、システムが緩くしか連結してない、ってことはわかった。
 よくわからんけれど、オレなりの解釈をしてみるとね、うーん。最近、ゲームの映像を見る楽しみが減ったような気がしてるのね。ゲームの世界が2Dで描かれていた頃って、ゲームの映像って、ゲームのやり方、ゲームの見え方とがすごく密接に結びついていた時期ってあったじゃない。ヘックスが描かれていたらシミュレーションゲームだし、俯瞰視点で四人ぐらいが列を組んでたらRPGだし、世界の見え方そのもの、世界の描かれ方そのものが、世界への接し方を描写してたよね。すごろく板はすごろくのあり方を想起させるし、アクションゲームの映像はアクションゲームのプレイの仕方を想起させるよね。
 まあ、ファミコンとかスーファミの頃って、『ファミコン通信』(現、ファミ通)とかを一ページめくるたびに、ゲーム番組の映像をみるたびに。そのゲームがどんなゲームだろうっていう想像をすごく駆り立ててくれたわけですよ。映像すなわち、ゲームシステムだった時期というのがあった。
 だけど、ゲームの映像を見るのが最近つまらなくなった、っていうのはその映像とゲームシステムの結びつきがすごーくよわくなっちゃったというのがあるわけだ。最近のゲームって、ハイエンドの最先端ゲームってぜんぶきれいな3Dの世界が描かれているじゃない。するとさー、どの映像みても区別がつかない、っつーか、ゲームシステムがどうなってるのかなーみたいな想像力をほとんど刺激しないんだよねー。まあ、どこもかしこもキレーなのはいいんだけどさ。欲望された世界は全部同じだったということかもしらんけど。とにかく、新しいゲームの映像は、新しいゲームのプレイ体験を想起させなくなったわけですよ。塊魂とか、わずかな例外があるだけで。
 ただね、ゲームの映像ってのは静止画にしたときの見え方が似たようなものだったとしても、ゲームをプレイしているときのプレイヤーへの主観的な見え方っていうのはやっぱり違うわけですよ。プレイヤーはゲームの映像を、ただの色の集合だとか、ただの美しい静止画としては眺めないよね。たとえば、そこに敵がいるのならば、即座に敵を攻撃すべき「的」として捉えるし、プレイヤーと敵との距離を冷静に――興奮はしているかもしれないけど、ある程度は冷静に――測定するわけだ。そんでもって、プレイヤーは自分が敵と対峙すべき最適な距離をとろうとする。
 このときにね、その世界がどんなに美しかろうが、ディティールが書き込まれていようがもう関係なくなっちゃう瞬間があるじゃない。2Dのゲームをプレイするときの感覚と、3Dのゲームをプレイしてるときの感覚って、けっこう同じになるときあるじゃない。雪景色の中にまぎれる白い敵は、判別の難しい強敵として捉えられるし、黒い敵は判別しやすい絶好の的としてうつるわけだよ。そういう判別を必死でしているときって、映像の美しさは二の次になっちゃう。
 もちろん、ICOにもそういう瞬間はあるよね。あるんだけれども、ICOみたいなものってそうじゃない瞬間のほうが多くてさ。敵/味方、とか足場/背景といった見方とは関係なく映像を見てしまえる時間がすごくよくできてるよね。ハトみつめられたり。ヨルダがうろうろしてるの眺めたり。敵/見方とか、パズルのパーツ情報として、映像を見ないんだよね。あんまり。あれ、とっても不思議。”
いまさら、ICOの話

“★何が一番凄かったかって言うと、「ゲーム」が他の媒体でやるよりも圧倒的に勝っていると感じれたのがとにかく嬉しかった。
携帯のシステムにしても、複数のエンドにしても、そしてトゥルーエンドのこれでもか!ってほどの奥の奥の奥の奥!
これは1本の完成度の高い漫画や小説や映画では味わえないゲームだからこその満足度。これだけは本当に手放しに楽しかった。
ほんとムービーやラノベでいいじゃん!ってゲームが多い中、久々にゲームに打ちのめされた感じ!
ほんとプレイヤーが選択できないゲームが多すぎるんだよ!”
氷川へきるのブログ:シュタインズ・ゲートクリア

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